明日死んでもいいと思うことには賛成?反対? 哲学生が考察 第126話
0.哲学生の「死」の捉え方
こんにちは!!
本日もとある質問に答えていこうと思います!!
今日いただいた質問はこちらです。
「明日死んでもいいと思うように毎日生きることについて賛成ですか?」
結論から申し上げると、とても賛成です。
現在「死生観」はタブー視されたりする傾向は薄れてきたと思います。
しかし積極的に「死」についての話題を出す人はいないんじゃないかなと思ってます。
死を認識することの大切さや意義について、少し掻い摘んでブログにさせていただきたいと思います!
1.賛成と考える理由
まず賛成と考える理由は大きく2点あります。
1.現状に満足し、毎日の幸せを噛み締めている証拠だから。
2.死を意識することで、時間を無駄に過ごすことは無くなるから。
この2つかなと個人的に思っています。
どちらも抽象的ですよね。なので少しわかりやすく噛み砕いて説明したいと思います。
2.毎日の幸せ
明日死んでもいいということはある意味で現状に満足していることだと思います。
満足していない限り際限なく欲望や後悔が生まれるはずなので。
もっと言い換えると、満足しているとは「既に幸せだと思えている」ことをなんじゃないかなと思います。
これがベストな生き方なんじゃないかな、と現状の私は思うんです。
特別な事に幸せを求めると底なし沼になってしまうと思います。
欲望を求めれば求めるほど終わりが見えない長い旅路が始まります。
お金を稼いで良い暮らしをするという夢。際限はないです。
満足することのないゲームのスタートです。
だからこそ
「現状の自分」「普通の日常」に満足をしていることは幸せだなぁと感じます。
それが生きる上で一番重要なんじゃないかなと思っています。
明日死んでもいいということは常に満足している境地に達していると思われるので、ストレスのない良い生き方差だと思います。
3.死を意識することのメリット
次に死を意識することのメリットです。
死を意識することで、時間の有限制が強く理解できます。
たまに時間を浪費してしまうことがありますよね。
なぜ時間を無駄にしてしまうと思いますか?
答えは、「時間を無限だと思っている」から。
それが全てなんじゃないかなと思っています。
残念ながら時間は有限です。私もあなたもいずれは死にます。
そのことを自覚して行動することがまず第一なのかなと。
例えば私は、人生設計は40歳の時点までしか考えていません。
仮説として、40歳で死ぬだろうと思い人生を考えています。
そうすれば無駄にしている時間はありません。
「死にたい」というとまた別の問題に発展します。
しかしいずれ私は死ぬ。だから今の生を噛み締めて、何するかが大事。といった死生観は本当に全人類が持つべきなんじゃないかなと思っています。ほぼほぼ悟りの境地なのかもしれませんが。
あえて普段使わない「べき」という強い言葉を使いましたけど、そのくらい自分は思いを込めています。
4.まとめ
今日のブログは以上です!
「哲学を学んでいる」という肩書きを持っているからなのか、このブログを読んでくださる方からは死生観に関する質問が届きます。
「死を探求すること」はかなり難しいことではありますが、「死を意識すること」で人生はより良く有意義なものに移り変わる余地があります。
この感覚をぜひ一緒に味わっていきましょう!!
では今日のブログはこの辺にしたいと思います!
よかったら感想フォームに質問等をご記入ください!!
本日は以上になります!
また明日もよろしくお願いします!!