「伝える」を届けるブログ

都内の大学で哲学を専門として学んでいる3年生です! ここで哲学ときくと、現代においてマイナーな分野にされているというイメージを抱かれるかもしれません。そういったマイナーな「哲学」から世の中を見るとどう見えるのか?どう役に立つのか?といったことを中心にブログにしていこうと思います! その他映画や本のレビューを公開していきますので是非チェックしてみてください!

積極的安楽死のニュース。哲学生が考察 第100話

0.安楽死の事件はたくさんある。

こんにちは!!

 

今日はとあるニュースと、隠れている問題を紹介したいと思います!

みなさんも是非機会があれば考えてみてもらえればと思います。

 

今回僕が取上げたいのは、

https://www.jiji.com/sp/article?k=2020072300336&g=soc

 

このニュースです。

 

内容はですね。

難病患者から依頼を受け、患者の寿命にピリオドを打った医師2人が嘱託殺人容疑で逮捕されたというものです。詳細が知りたい方は是非ニュース記事をご覧になってください。

 

生命倫理の問題ですね。

自分は昨年度生命倫理は特に力を入れて学んでいました。

 

ロッコ問題や、動物が殺すのはダメだが、豚肉を食べるのは良いのか等。おもろい問題も扱いました!

 

人間視点からの命の線引きは難しく、そもそも人間が他の動物の生命に線引きをすることが傲慢とも思ったり。

 

そのような観点から、記事を書いてみますね!

みなさんが考えるきっかけになれば幸いです。

 

1.ニュースの概要

 

ニュース記事によると、お亡くなりになられた女性は1人暮らしで、24時間態勢でヘルパーのケアを受けながら生活していたようです。手足は動かせず、文字盤を使って意思表示をするような寝たきりの生活だったようですね。病名は筋萎縮性側索硬化症と呼ばれる、治療法が存在しない難病の最たるものでしょう。

 

その女性から依頼を受けた医師。口座に100万円振り込まれていたようです。

 

安楽死にはいくつかの種類があるようですが、この場合は当事者が安楽死をお願いするパターンなので「積極的安楽死」と呼ばれます。

 

現代ではまず,安楽死は刑法第202条で嘱託(同意)殺人罪となります。

 

ただ一方、耐え難い苦痛や死期の切迫等の複数の場合に限り、積極的安楽死が許されるとした事件もありましたね。

 

2.何が問題なのか?

 

人の手によって命の灯火を消すという行為は倫理的にいかなるものか。という問題がほとんどでしょう。

 

僕個人の意見は少し逸れてしまいます。僕は「死ぬために依頼金として100万円を振り込む」という行為に強い違和感を感じ取っています。

 

日本はある程度の自由が認められています。

職業選択の自由等ですね。

 

しかし、「死ぬ」ということに関してはあまり自由はありませんね。

 

無論、「死ぬ」ことを肯定しているわけではありませんが、「死ぬ」ために100万円を振り込むことはかなり異常な光景を見ている気がします。

 

本人が「死」を求めていた場合、その意思に反して延命治療を講じることも違和感といえば違和感です。家族が悲しむからという場合もあるでしょうが。自分の人生は自分次第という原則が機能していない場面でもあるのかなと。

 

3.無駄な議論

 

他者の手によって命の灯火を消してよい、消してはいけないという議論は明瞭な解決策を産まない気がします。

 

なぜなら原則として、両者の意見も論理的に正しいのです。

正しいロジックをぶつけ合っても落とし所は無さそうです。

 

小学校でも賛成派と反対派に分かれてディベートをしますよね。しかしこのような問題に関しては、「なぜ安楽死はいけないのか?」という問いをたてるほうがより問題の本質に近づく気はしますね。また後日考察したいと思っている問題です。

 

4.個人としての意見

 

あくまで大学やバックボーンとは関係なく、僕個人が思う主張を述べて終えたいと思います。

 

私個人としては、「安楽死」は認められても良いのかなと思うのです。

 

人間が「不幸せだ!」と感じる時は、ストレスを過度に抱いているときと考えています。

 

現代では、そのストレスを解消するサービスがほとんどです。マッサージや旅行サービス等ですよね。

 

私は明確に普遍的な幸福である状態を定義することはできないと思っています。

 

しかし各人が悩んでいるストレスを取り除いた先には幸福だけが残ります。各人は自分の顕在化している悩みの解消策をサービスから選択し、幸せに生きようとする現象は事実ベースであります。

 

つまり人間の根本は幸福であり、ストレスが積み重なって不幸に思うだけで、

ストレス要因を排除することが、幸福に繋がる道なのでしょう。

 

だからこそ、これ以上「生」を求めることはしたくない。生きているだけで常に苦痛が伴う状態なのであれば、「死」を選べるという選択肢があるだけでも人は大分違うと思うのです。

 

私は断じて「死」を肯定するわけではありませんが、上記の事実から「死」を選択できる選択肢はあるべきだなと思います。

 

5.まとめ

 

職業等には「選択肢の増加」が行われている一方、「死」については選択肢が抹消されるのも不思議な話だなとは思っていました。

 

しかしながら、この意見も「安楽死」の一側面を述べただけにすぎません。反論のある方もいるでしょうが、その方の意見はきっと論理的に正しいのでしょう。

 

多様な意見に正当性があるからこそ、アンチノミーに陥って思考をとめず、優先順位を付けていくことが求められるのかもしれません

 

というわけで今日はこんな固いブログを書いてみました!

 

もしよろしければ感想フォームに記載をお願いします!

 https://forms.gle/jmAgnCXxeixBKN4m9

 

明日もよろしければブログを読んでいただきたいです!

本日もありがとうございました!!