大人と子どもの境界に立つ人 第62話
1.大人と子どもの境界に立つ人
こんにちは!!!
今日は「大人と子どもの境界に立つ人」というテーマでブログを書いていきたいと思います!
みなさんは大人とはこういうもので、
子どもとはこういうものだ!と
言い切ることができますか?
確かに年齢で判断する方法もあります。
しかしそれだけでは完全ではないのもまた事実ですよね。
そこで今日は「マージナル=マン」という概念を紹介したいと思います。
では、本編へどうぞ!
2.マージナル=マンとは
マージナル=マン。これは「境界人」と訳されます。
複数の社会集団や文化の周辺の境界線上に位置して、そのいずれにも属さない人々のことを指します。
具体レとして、これを大人と子どもという枠組みに当てはめてみます。
大人というのはいわば「成人期」という時期です。
一方で子どもは「児童期」という時期に属します
成人期と児童期の間に存在する「青年期」を「境界人」と呼んだレヴィンという心理学者がいます。
これが大人と子供の境界であるということです。
子どもの頃に持った社会への価値観や規範というものが、大人になるにつれ変わっていきます。
果たして何ができれば大人になれるのか?大人になれる条件とは何?
という感じで基準が不明確になると。
そこで子どもと大人の境界そのものが不明瞭になっているとも指摘されます。
自分も思いました。
個性を大事にする教育がなされる中で一元化を図りにくる社会。
出る杭は必ず叩き潰しに来る社会人。
さらに特に最近は急激な情報社会の進歩があり子供が大人の世界観へアクセスできたり、もう早い時期からは大人の知識をインプットしたり、そういったことが可能になっている時代です。
個性は社会によって活かされることもあれば殺されることもあると思います。
このブログが個性を殺す社会への強烈なカウンターパンチになることを願うばかりです。
3.ピーターパン症候群
大人に成長する事を拒む男性として「ピーターパン=シンドローム」という概念があります。これはアメリカの心理学者カイリーが説いたものでありますか、「心理的に少年のままの未熟な男性」を「ピーターパン」に例えたというものです。
大人か子どもかというのは非常に重要な問題であると思いませんか?
4.二元論を超えていく
自分は上記のように大人が子どもかという二元論で考える必要はないと思います。
大人という特性の中にも良い面と悪い面がありますよね。
良い面だったら精神的にも熟している、冷静な判断ができる、空気を読める等あると思いますが、悪い面からしたら子供のような無邪気さはないんですよね。
人間関係を損得で捉えたり狡猾な思考を指す場合もあると思います。
一方子供を良い面と悪い面がありますよね。
良い面だったら物事を素直に見ることができます。
一方悪い面は、感情のみで動いてしまうこと。例えば気に入らないやつは殴ってしまったり、そういった事は子供の未熟さと捉えられると思います。
一人の人間をこのどちらかに規定させるいうことは難しい気もします。
5.まとめ
よって明日からのブログは大人とは何か?子どもとは何か?を取り上げていきます。
その上で自分が思う「最良の人間像」
つまり「楽しく生きることができる人」はどういう人であるのかということをブログに書き起こしていきたいと思います
自分の意見を深めたいので、何か気になった意見がある人は是非コメント欄に書いてくださると嬉しいです!!!
明日からお楽しみに!
見ていただいてありがとうございました!!