「育メン」という言葉の違和感 後編 第32話
〈読んでいただきたい方〉
・ジェンダーに興味がある方
・ジェンダー問題について議論したことがある方
・このブログを楽しんで見てくださっているアナタ
後編の論点
こんにちは!!
前編に引き続き、ジェンダーや女性問題について今回も考察をしていきます。
前回は「育メン」という言葉が、
女性が育児して当たり前という前提を含んでいること。
その前提には、
男性が社会的地位を獲得していた時代背景があると推測できること。
その社会的地位の向上により、
男性による女性の支配が行われているということ。
以上の点をまとめて、一個人として考える解決策を主張したいと思います。
試行錯誤の世の中と歴史
この既存の構造に対しての解決策として、
現代でしたら「男女雇用機会均等法」のような、男女の差を排除していこうという法律が制定されていますね。具体的な規則を定めて、格差問題の解決を目指していると思います。
自分はそういった解決策に意味はあると思います。
しかしこれだけでは完全解決に至らない気がしてしまうのです。
こういった議論は歴史を振り返ると大正時代にもなされていました。
平塚らいてうが「元始、女性は太陽であった」といったあの日から、女性問題は重要なトピックとして光を浴びました。
これはどちらの性別が先なのかという起源説です。
平塚らいてうは、起源は女性にあると主張をしました。
しかし、このような起源説の議論に意味はないかなと思っています。
なぜなら、現在においては男性の方が社会的地位が高いので、期限がどっちだろうが関係ないという話と考えたためです。
線を引いてはいけないのかもしれない
では自分の解決策を述べていきます。
それは男性と女性の二項対立の卒業にあると考えます。
現代で起きるフェミニスト、特に悪質なフェミリストの方によく見られることではありますが、自分の決定権を主張するあまり、その中において男性か女性かどちらが価値が高いのかという二元論にとどまっているという構造を抜け出せない。そこが事態の解決が停滞する原因なのかなと思います。
結局は女性が男性の後を追い続けるという構造になってしまうので、根本的解決はなされないと考えます。
また、優劣をつけることも意味はあるのでしょうか。
自分は、抽象的ではあるんですけど二項対立の構造をなくすことが有効と考えます。
性別にラインを引かないというか。
もはやLGBTという概念もあり、
現実的にはそんなに性別を男性、女性という大きなカテゴリーで規定できないでしょう。(生態的には分けられるでしょうが。)
この解決策を述べた理由としては、重複しますが
二項対立に意味を見出せないからです。
世の中、白黒つけられるわけではないし、性別に至っては優劣をつけるメリットはないででしょう。
でしたらそんなに無理に白黒はつけず、共生を目指していくことが、個人的なテーマのようにも感じました。
こんな感じでちょっと小難しいというか、
いつものようなポップなブログじゃないんですけど、
自分が書きたい、主張したいことはこういうことなんです。
音楽も哲学的、内省的、社会風刺的な曲が大好きです。(アングラのバンドやHIP-HOP等)
このようなことはブログ向きではないかもしれないんですけど、
度々挟ませてもらうので何か批判とか意見とかあればコメント欄に書いていただけると嬉しいです。
ちなみに女性の権利問題を主張している政治学者にキャロル・ペイトマンという人がいるので、是非気になった方は調べてみると面白いんじゃないかなと思います
それではこの辺で失礼します!
ありがとうございました!!!