自分の軸とデカルト 第33話
〈想定している読者〉
・哲学に興味がある方
・このブログを継続的に閲覧してくださっている方
・好奇心旺盛な方
・偉人の思想を見てみたい方
比喩の魅力と面白さ
こんにちは!!!
今日は哲学における比喩に関するネタをブログに書いていこうと思います!
比喩というのは、
自分の思想を伝えるときに、他の身近なものに例えて具体的にイメージしてもらうことを目的とした表現技法のひとつであります。
とりわけ抽象的な思考が多くなる哲学では、
しばしば比喩、アナロジーが使われるということがあります。
このブログの主軸は哲学なので(一応)、
たまにはこういったコーナーを設けようかなと思います!!
ではまず紹介する哲学者を取り上げますね!!
近代哲学の父
今日取り上げるのはデカルトという哲学者です!!
デカそうですね。身長はわかりません。誕生日は自分の誕生日の翌日です。
近代哲学の父って二つ名ヤバいですね。強そうです。
デカルトが行った業績として2点取り上げます(もっとありますが)
まず1点目は、
哲学に於いて中世の神様を大事にする文化を引き継ぐのではなく、
「良識」≒「理性」を哲学の中心として提示したことです。
哲学の中心命題の変遷(雑ですが)
中世)神の論理的な存在証明→神学が中心
近世)人はどのように物等を認識をしているのか→認識論
といったものです。
これを『方法序説』という超絶わかりやすい古典の冒頭で述べます。
ちなみに哲学書というと難しいイメージを抱く方も多いと思うんですけど、
『方法序説』という書籍は極めてクリアでわかりやすいです。
もう古典中の古典という感じだと思っています。
この書籍は読むことで論理的思考力が向上しそうな気がします。
物事の考え方の規則を置いていて、読む価値はとってもとってもとってもある書籍です。
本題に戻します。
誰しも持ち合わせている「理性」を哲学の中心におくということは、
誰でも哲学をすることができ、
どんな人でも同じ真理に到達することができるということを示しています。
さらにはこれをラテン語ではなくフランス語で書くことによって
一般人でも書籍を手に取り読めるように書きました。
このことに関する影響力は半端ないです。
次にこのデカルトが提唱した「心身二元論」という考え方は興味深いです。
これは現代の文系と理系の分け方にも影響を及ぼしていると言われるもので、
心と体は別物ですよ!という、まず雑に言ってしまえばそういうものになります。
いずれ詳しく紹介します。
もちろん批判もありますが、
とてつもない影響を及ぼした、そんなデカルトが提唱した比喩を紹介していきます。
建設についてのたとえ
正式に比喩とされているわけではないですが、、、
デカルトがこの例えを使ってしたことは、中世の哲学の批判及び学問の作り方です。
中世の哲学は基本的に「神学」と「アリストテレスの著作」の合わせ技で思想を展開していきます。
これに対してデカルトの比喩です。
「ただ一人の建築家が設計し完成した建物は、ほかの目的のために作られた古い城壁などを利用することによって、多くの人の手で取り繕ろわれて出来上がった建物よりも、美しくまた秩序だっているのが常である。」
『方法序説』第二部
つまり様々なものをがっちゃんこがっちゃんこするよりも、
1人で最初から最後まで構想を練って道筋を整え作り上げていったものは美しい!
ということです。
デカルトは哲学を学問の根本と置きました。
なぜ真理は一つだけなのに、こんな様々な人によって違う思想が語られているのか?
ということに疑問を感じたデカルトは、
このように完璧な、1人が設計した学問の構造を作り上げようと奮闘します。
一つの軸
デカルトの意図とは離れますが、ここから我々が得られることとしては、
結局、都合の良いように目的が違う手段をがっちゃんこしたところで
良いものは生まれないよということでしょうか。
それよりも自分だけの確固たる軸を持って、
構想練って、
物事に向き合うこと。
これが最も秩序だっているということに抽象化できると思います。
相手を論破する際も都合のいい論理を持ってきて適当にぶつけるよりも、
自分の軸から発生した論理を提示することをしてみたり、
就活において、面接で適当などっかのコピペのような文章を投げつけるより
自分がどう思っているのか、
それは自分の軸に当てはまってるのかというのを踏まえて答えてみる。
理想論ではありますが、やはり立ち戻るところは自分の信念、軸のようなものであると考えます。
みなさんの軸は何がありますか?