「伝える」を届けるブログ

都内の大学で哲学を専門として学んでいる3年生です! ここで哲学ときくと、現代においてマイナーな分野にされているというイメージを抱かれるかもしれません。そういったマイナーな「哲学」から世の中を見るとどう見えるのか?どう役に立つのか?といったことを中心にブログにしていこうと思います! その他映画や本のレビューを公開していきますので是非チェックしてみてください!

「当たり前」を排除する 第44話

〈想定している読者〉

・想定なし

 

こんにちは!!

 

蒸し暑くなってきましたね。そろそろクーラーが必要でしょうか。

 

今日は早速本題に移ります!下へどうぞ!!笑

 

当たり前を排除する

最近「当たり前」ということについて考えています。

 

というのも、

 

なぜ人は何かしらの物事について不満を覚えるのか?

不満:満足していない状態

 

この問に対して、その物事の享受を「当たり前」と捉えるから。

という一定の解を先日自分の中で求め終えたからです。

 

当たり前とは本当に怖いよなぁと思う今日この頃です。

 

実家に住んでいた時は、

・苦手な夕食のおかず

・心身が疲れきっているときに話しかけてくる家族

 

これらに不満を覚えていました。

 

しかしながら、一人暮らしをすることでこれらは実にありがたいことであることに気づき、自分の愚かさを痛感しております。

 

オンラインサービスでの講義でも不満を垂れ流してる人を散見します。

 

確かにお金を支払っている以上、良質な講義形態を求めるのも理解はできます。

 

しかし、それと感情はまた別で、このご時世に授業を受けられることは当たり前ではないと一呼吸置くことで、少なくともそういった刺々しい感情は消えるのではないでしょうか。

 

教授に対して、学生をバカにするなといった声があります。

しかし、教授は断じて学生をバカにしていないと思います。

このコロナという極めて困難な出来事に教授もバカにされているのだと思います。

慣れない中頑張って講義を届けてくれているのです。その事に感謝をできる人間でありたいです。

 

「当たり前」を「当たり前」と思わないことは理想論である、特に何も新しい価値は生まれておらず不満に対する根本的解決になっていないと仰る方がいるかもしれません。

 

確かに仰る方通りです。しかし人間は感情を通して物事を見ていると自分は考えています。

 

楽しければ、「楽しい」という感情フィルターを通して物事を把握しているということです。

 

なので自分は感情の整理を第一に掲げます。

 

このコロナのご時世で、以前の生活のありがたみが理解できましたね。

その生活のありがたさを忘れず、「当たり前」に溺れないよう行動、思考をしていきたいと思います。

 

追伸

先日田田のブログをあげた人と同一人物とは思えない!!と思われるでしょうか(笑)

 

どうかこの温度差についてきてください🙏🏻

今後ともよろしくお願いします🙇🏻