「伝える」を届けるブログ

都内の大学で哲学を専門として学んでいる3年生です! ここで哲学ときくと、現代においてマイナーな分野にされているというイメージを抱かれるかもしれません。そういったマイナーな「哲学」から世の中を見るとどう見えるのか?どう役に立つのか?といったことを中心にブログにしていこうと思います! その他映画や本のレビューを公開していきますので是非チェックしてみてください!

とある日の思考回路 第22話

突然ですが、

自分は他人が怖いと思うときがあります。

怖いというのは、対人恐怖症ということではありません。

他人が何を考えているかわからない 
だから怖いのです。

というのも、通常人は数年、数十年ほど生きてきた経験から価値観を作り

物事を観察したり、価値観を形成したりします。

たまに相手の考えていることを汲み取れよ!という人がいますか、

自分はその感覚がどうにも落としこめず。

自分の数十年と相手の数十年は違うはずで、

その数十年の蓄積を一時の観察で

理解できるとは到底思えません。

自分にとって何気ない一言が相手をとても傷つけてしまうこともあるという人がいます。

それは本来あってはならないはずのことです。
しかしそれが予測不可能の中で成り立ってしまう怖さを何年も身を持って体験しています。

相手が何を考えているかを想像してみるのは確かに必要なことなのかもしれません。

しかし自分の予想と相手の実態がどれほどマッチしているか
整合性を確認する場面はありません。

結局は想像の中で恣意的な判断を下すしかないんです。

自分の経験をベースに相手の事を理解できると思うのは、
傲慢だなとさえ思ってしまいます。

以上により、「嫌われる」とは確率論であるなと思います。

それに気付いてから人に嫌われることがさほど怖くなくなりました。

自分のバックグラウンドと相手のバックグラウンドには大きな違いがあるので意見や価値観、スタンスが異なることは当然かなと。

その相違から苦手、うざい、という感覚が創出するならば
もちろん嫌われることは仕方ないとさえ思うし、
あなたの基準に則った人間ではなくてすみませんくらいで終わりますよね。

さらに相手のことをわかったつもりになっても結局は諸行無常で、
変わらないものなんてありません。相手もいつの間にか変化をします。

そういった変化ひとつひとつを汲み取る膨大な作業に加え、
さらにその作業が合ってるかもわからない。
このようなことに絶望しかけてしまいます。

意見を述べる大切さ

だからこそ、然るべき時に自分の意見をしっかり言うことは、
とても大事なことなんじゃないかなと思います。

結果的に自分の感情を汲み取ってくれる人は存在しないし、
自分が「地獄」のような環境に突き落とされた時に、
蜘蛛の糸」となるのも結局は自分でしょう。

人がどうにかしてくれるだろう、汲み取ってくれるだろう。
そういったことは甘えであるなと。

周りの人、友人は皆優しい人ばかりです。

しかし上記のことから、人は怖いなと思います。

以上、本日のブログでした!
明日もどうぞ、よろしくおねがいします!