「なぜ?」と自分に問うことは意味がないのか。第154話
1.「なぜ?」と問う自己分析は無意味
「あなたの好きな物はなんですか?」
「それはなぜ好きですか?」
このように問われると、多くの方は様々な理由を答えてくださいます。
本当に?と念を押すと、「ファイナルアンサー!」という元気な声が返ってきます。
これは僕も同様でした。
しかしそれは間違いである可能性が高いらしいのです。
そのように主張する書籍はこちらです。
そうです。昨日別のテーマでご紹介した『insight』です。
ビックリしますよね。
今日の結論を先に申し上げると
「なぜ?と自分に問うことは破壊的である。」ということです。
気になる方はぜひこの続きをご覧ください!!
2.『Insight』の主張①
この書籍ではこのような主張をしています。
「人はなぜ?と問うとき、つまり自分の思考や感情、行動の原因を検証する際に一番簡単で最もらしい答えを探す」と。
確証バイアスというやつですね。なぜ?と自分に聞いて自己分析することはアテにならんよ。ということでしょうか。
さらに余談ですが「なぜ?」と問われると意思決定の質も下がるようです。
このような研究結果が報告されています。
あるバスケットボールの専門家に、優勝チームを予想してもらうと。その際2グループに分けます。
ひとつは、理由の分析をして予想するグループ
ふたつめは、ただ単に予想してもらうグループ
この結果、より予想を的中させたのは単に予想をしたグループというので驚きです。
物事を考えすぎてしまうとダメなようですね。
3.『Insight』の主張②
次に紹介する主張はこちら。
「「なぜ?」という問いは精神衛生上、悪影響を及ぼす。」
具体的な研究結果は端折るので、気になった方はぜひ購入してみてくださいね。
とある研究がありまして。
みなさんは、どちらのグループが、自分に関するネガティブな情報を受け止められたと思いますか?
ひとつめは、「なぜ今のような自分になったのか?」と考えたグループ
ふたつめは、「私はどのような人間か?」と考えたグループ。
答えは、二つ目のグループです。
「なぜ?」と問うたグループは評価を受け入れることができなかったようです。
逆に「どんな?何?」と問うたグループは、新たな情報に非常にオープンになれたようです。
なぜ?という問いは自分を過去に閉じ込め、
どのような?なに?という問いはより良い未来を作り出す問であることを証明した研究結果ですね。
「なぜ?」を問うと過去に束縛されてしまう指摘は想像に容易いですね。
例えば友達を怒らせてしまった時、「なぜあんなことをしてしまったのだろう…。」と考えても前に進めませんね。「怒らせてしまった。さて、何をしようか?」と考えた方が余程合理的ですし精神に優しいです。
「何?どのような感情?」という問いを自分に向けて、ある意味でメタ的な視点で自分を観察した方が良いのかもしれません。なぜ?と問うても確証バイアスである可能性も高いですもんね。
感情に名前をつけていきましょう。
4.ちょっとした例外
ただ「なぜ?」という問いが悪い訳ではありません。
例えば、仕事のミスを改善する際、つまりPDCAサイクルを回す際は「なぜ?」と問うて原因を分析するべきですし、その方が合理的です。
まとめると、「なぜ?」は自分の周りを理解する上で効果的であるのに対し、「何?」「どのような?」という問いは自分を理解する上で効果的な問であるということですね。
使うタイミングを適切に選択する際に参考にしたいですね!
5.まとめ
さて、本日はちょっと衝撃的な内容をお届けしました。
あくまで客観的な情報のみ述べました。
私へとても説得力がある主張だと思うので、自己分析の際は「どんな感情だったか?」という問いに変えようと思います。皆さんもぜひご自身の判断で取捨選択をしていただければと思います。
感想フォームも貼っておきます!遠慮なく質問ください!
それでは本日はこの辺で失礼致します。
また明日もよろしくお願いします!!