「伝える」を届けるブログ

都内の大学で哲学を専門として学んでいる3年生です! ここで哲学ときくと、現代においてマイナーな分野にされているというイメージを抱かれるかもしれません。そういったマイナーな「哲学」から世の中を見るとどう見えるのか?どう役に立つのか?といったことを中心にブログにしていこうと思います! その他映画や本のレビューを公開していきますので是非チェックしてみてください!

人の心を揺さぶる文章-主観編 第14話

〈読んでいただきたい方〉

・前回のブログを読んでくださった方

・魅力のある文章に興味がある方

 

こんにちは!!毎度おおきに!!

 

今日は前回の続きをブログにさせていただきます!

 

前回の内容知らないよ~って人は少し遡り、前回の内容から見てみてください!

 

では、今回は前回に引き続き自分が思う〈魅力のある文章〉についてブログにします!!

 

個人的に思う魅力のある文章の特徴は、〈情報量が少なく解釈の余地がある〉ということを挙げました。

 

それは情報を引き算することによって、本当に伝えたい情報のインパクを高めるといったことです。

 

では、情報を引き算するべきものとは?

その基準について述べます!

 

本編へどうぞ!

 

主観性=悪を覆したい

 

そもそも自分は人の心に刺さる文章の特徴をもう1つ考えていました。

 

それはズバリ「主観性」だと思っています。

 

「主観性」というのは「客観性」の反対ですよね。

人によって解釈がわかれるようなニュアンスです。

 

「トランプは○○歳だ。」これは客観的です。

誰が見ても基本的に同じだからです。

 

「トランプは偉大である。」これは主観的です。

確かに大統領なので偉いですが、偉大というと反対する人もいそうですよね。

 

主観というのはどうしても「反論の余地」を与えてしまします。

 

 

通常そのような主観性は客観性に比べてどうしても悪いイメージに捉えられがちですよね。

 

「彼の言説には客観性が足りない」「その発言は科学的根拠に立脚していない」という言葉に代表されるように。

 

しかし、本当に主観性はそのような悪いものなのでしょうか?

人に何かを伝える時に主観性はあってはならないのでしょうか?

 

それはナンセンスかなと思うんです。

 

確かに近代の文明社会を形作ったのは科学に支えられた「客観性」であり

「客観性」のある言葉や、物事の原理によって日常は大きく進歩したと言っても過言ではありません。

 

しかし、そういった「客観性」では語り得ないこと、「主観性」でしか成し遂げられない領域はあると思うんです。

 

それは「人の感情を揺さぶる」ときだと思うのです。

 

「自分の思い」を「自分の言葉」で構築して、その想いの丈を相手に述べる。

 

このような場合においては「主観性」が大活躍すると思います。

 

「あなたを愛しています」という主観的な言語が

どれだけ多くの人の心に刺さってきたかは言うまでもないと思います。

 

そのような点からも、客観的言語では到達し得ないもの、

主観的言語だからこそ可能な表現の領域があると自分は思います。

 

情報を引く基準

 

では本題に戻り、情報を引く基準について説明していきます。

 

では、本題に戻り、情報を引く基準について説明させていただきます。

 

それは上記で説明したような主観性が必要とされるとき、つまり自分の思いの時を相手に伝えるときだと思います。

 

例えば会社の企画書のようなものは、企画の概要を伝える際に客観性が重視される書類なので、情報を引くのはあまり得策とは言えません。

 

一方、手紙なんかは自分の想いの丈を相手に綴ることが多いと思うので、変にダラダラ書くよりは短文でピシっと書く方が締まる場合があります。

(口で話す場合は緩急をつけることで聞き手が飽きることはないです。なのであんまり情報を足したり引いたりというのは気にしなくていいと思います。)

 

なので是非ご家族やお友達パートナーに手紙を書く際は5枚6枚書くよりも、一枚に本当に必要な情報だけを抜粋して書くことで、

 

インパクトを残せると、相手の心に刺さるんじゃないかなと思います。

 

総括

 

本日は見てくださってありがとうございました!!

 

これからも様々な事柄を哲学的に見て、役に立つようにブログに残していきたいと思うので、是非チェックをよろしくおねがいします!

 

明日は〈人の感情を揺さぶる〉というところをポイントに

 

アリストテレスの〈弁論術〉を引き合いに出して、

哲学的に考察していきたいと思います!!

 

では、本日も読んでいただいてありがとうございました!!