「伝える」を届けるブログ

都内の大学で哲学を専門として学んでいる3年生です! ここで哲学ときくと、現代においてマイナーな分野にされているというイメージを抱かれるかもしれません。そういったマイナーな「哲学」から世の中を見るとどう見えるのか?どう役に立つのか?といったことを中心にブログにしていこうと思います! その他映画や本のレビューを公開していきますので是非チェックしてみてください!

運命の赤い糸。恋愛の哲学を紹介します。後編 第74話

0.前回の復習

 

こんにちは!

 

このブログは

運命の赤い糸。恋愛の哲学を紹介します」の後編になります!

 

まだ前編を見ていない方は1つ前の記事に戻っていただき、閲覧するようにお願いします!

 

前回は「運命の赤い糸」の元ネタとして登場する哲学書として『饗宴』を取り上げました。

 

主に著者であるプラトンの説明に終止してしまいました。

 

の書籍は古代ギリシャ屈指である数人の知識者が「愛とはなにか?」について語り合います。

 

その中の一人、アリストファネスが「運命の赤い糸」に関するお話をしますので、紹介させていただきます!

 

1.運命の赤い糸-人間はカタワレを探している。

 

以下、アリストファネスの主張です。

「両思いをする人間は、元々1人の人間だった」

 

これの補足をしますと、

 

元々傲慢で神に反発していた人間(頭は2個、腕と足が4本)はゼウスの反感を買うんですね。

それで体を真っ二つにされてしまいました。

 

そうして元々の半分になってしまった我々人間は再度1つになるべく、

自分の片割れを探しているというなかなかロマンティックな話です。

 

これ、フィクションと思えないほどよくできているんですよね。

当時1人と想定されていた人間は三パターンで、「男男」「女女」「男女」という三パターンに分けられます。当時のアテナイも同性愛、児童愛の文化があったんです。

 

アリストファネスがいうには「人間は交尾をする時に体が合体するようにできている、ハグをするだけで幸せになることができる、元々1人であったからだ」ということを述べます。

 

再度申し上げますと、これはフィクションです。ギリシャ神話にもこのような記述はありません。

 

ただこれが取り上げられて、「運命の赤い糸」として後々まで語り継がれるんですね。

 

まああとでソクラテスに論破されるんですけどね(笑)

 

2.『饗宴』を読んだ理由

 

私はもともと古代ギリシャの哲学はかなり大好きなんです。

プラトンでいうとソクラテスの弁明』『メノン』『国家(上下共に)』『ティマイオス』『饗宴』あたりは読み漁りました。

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Amazonより引用

 

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Amazonより引用

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Amazonより引用

なぜ今更読み直したか。それは先日彼女と雑談している時にこんな問いを投げられたんです。

 

「なんで人って死ぬのに、生きようって思うのかな?

やっぱ、生きることは当たり前の条件としてあるって感じなのかな。

嬉しい感情とか悲しい感情とか頑張った記憶とか、死んだら無くなっちゃうのに。」

 

かなり鋭く、哲学的で、神秘的な問いでした。(彼女はニヒリストではないと思います。)

 

確かに主要な議論はなんだかんだ「人間は生きる」という前提の上で述べられていることが多いなと思って。 

 

なので、改めて原点である古代ギリシャの哲学に立ち返ろうと思い

確かヒントがあったような気がする『饗宴』を手に取りました。

 

もし「生きるについて」述べている哲学書があれば、ぜひコメント欄で教えていただければなと思います。

 

とりあえず今後は中島義道さんの著作を漁ってみようと思います。「生」の探求の片手間に就活ですね(笑)

 

ではこの辺で!

本日も見てくださってありがとうございました!