コロナの拡大 夏目漱石と表現 2話
コロナの拡大
こんにちは!
今世界中ではコロナが拡大していますね。大変な世の中になりました。
自営業の方もハラハラしながら毎日を送っているかと思います。
この様を「パンデミック」と呼ぶ方々がいます。
「パンデミック」とは、古代ギリシャ語の「パン・デミー」が変化した語と言われています。その意味は「全・人類」というものです。
つまり、全人類に「平等」に関わるもの。それがパンデミックである、
という解釈をできるかもしれません。
今こそ人と人、国家と国家の壁をなくし、コロナに立ち向かうべきでしょう。
そしてそのような意識の先には、現在見られる発症者を責めるような「村八分」の現象もないでしょうね。
さて、では我々は今「外出自粛」以外に何ができるのでしょう。
特別な技術がなくても、小学生から年配の方まで平等にできることがあります。
その1つの答えを、近代の文豪 夏目漱石から導いてみましょう。
夏目漱石の生い立ち
まず簡単に夏目漱石の生い立ちを追ってみましょう。(上記の「1つの答え」を知りたい人は次の見出しへ)
生い立ちを理解することで、漱石の思想の背景を捉えることができます。
漱石は学業面では非常に優秀で、現在の東京大学に進学しています。
正岡子規とも同級生なのは有名な話ですよね。(先日のQさまでもやっていました。)
そのあたりで漱石は兄を亡くします。この「死」というものは、漱石の思想を捉える上で一つ大きなテーマになります。
漱石はその後教師になりました。そして国にとても期待されていた漱石はその後政府の名によってイギリスに留学に行くんですね。
しかし、留学先の生活が過酷で神経衰弱になってしまったと言われています。
ここが漱石の大きな転換期です。
正岡子規を師事していた俳人、高浜虚子から「小説を書くこと」を進められます。
その後作家になった漱石は「前期三部作(三四郎、それから、門)」を執筆します。
その後漱石は危篤になり、今度は自らの肉体を持って「死」を感じ取ります。(修善寺の大患といいます。)
そうして作成された「後期三部作(彼岸過迄、行人、こころ)」は「死」の影響を強く受けていると言えます。
とりあえずはこの辺にしておきましょう。
夏目漱石の思想
漱石は上記の通り、「死」や「神経衰弱」に襲われています。特に神経衰弱に該当しますが、漱石はどのようにしてそれらを乗り越えたのでしょう。
それは「表現」です。
形というのは「小説」であったり、「音楽」であったり、
このような「内省」を通して、ありのままに「表現」に走るのは、
自粛中に適している活動ではないでしょうか。
自分のモヤモヤを紙に書く。これも「表現」なのかなと思います。
これを読んで、面白そうだな! と思ってくださる方がいらしたらとても嬉しく思います!